調査の対象となった90人は、51種にも及ぶ様々な職業に就いていました。
さらに、その半数以上は第二次世界大戦の時に従軍することになります。
人々の関心を最も集めた移民は、オーストラリアの州政府、英国及び英連邦政府が協力して後援にあたった農地入植計画の下に移住していた人々でした。
西オーストラリアで実施された計画は、こうした計画の中でも最も大がかりなものです。
この計画は、英国から75、000人の移民を入植させることを目的としました。
政府は移民を20人ごとのグループで南西部に送り出して酪農業を育成し、あわよくば西オーストラリア内での乳製品自給化を達成しようと期待しました。
しかし、西オーストラリア集団入植計画は、大変大きなつまづきを見せることになります。
計画自体のまずさ、また地質が酪農には不向きであったことも災いして入植者は損害を被りました。
1942年までには、集団入植地を占有する人々の数も1、144人にまで減少していました。
東部の州で実施に移されていた入植計画も、同様なつまづきを見せています。
1923年、ビクトリアでは10、000人の退役軍人を農地に入れる計画がスタートしました。