酪農に関する教育に2週間、耕作に1週間、果樹園と園芸に1週間という具合に、様々なことを学びましました。
もちろん学校の仲間とは皆初対面でした。
バーナード収容所(1870年にトーマス・ジョン・バーナード博士によって始められた貧困児童収容所の1つ)でも同様な計画が推進されました。
1928年に始まったビッグブラザー運動(青年による問題児の教化指導運動。専門家の監督のもとに、篤志家の青年達が特に父親のいない子供達の指導・更正にあたる)は、他の組織とはやや異なった主旨を持っていました。
そのほとんどが中産階級の出身である少年が、オーストラリアの「ビッグブラザー」の道徳指導を受け、またオーストラリアに入植する目的でやって来ました。
1928年末までには1、515人の「リトルブラザー(問題児のこと)」が英国から送られ、その半数以上はビクトリアへと向かいました。
こうした計画は少年達に、「再出発」の機会を与えたものです。
しかし、到着当初に行われた農業指導の効果はうすく、農地に定住した少年は少数にとどまった様です。
1970年代後半には、以前ドレッドノート・トラストの下で職業訓練を受けた90人の少年についての追跡調査が実施されました。
しかし、調査の時点で農業に従事していた者、あるいは引退するまで農業を続けた者の数は、全体の15%にすぎなかったのです。